目 次 (クリックすると各項目に飛びます)
1.兄弟姉妹10人の中で育ったのは6人だった
2.私の生い立ち
3.私の体質・持病と小病
1.兄弟姉妹10人の中で育ったのは6人だった
「兄弟が、子供の頃に多く亡くなっている人は不健康だ」という諺(ことわざ)を知ったのは、高校生のはじめ頃だったと思います。
私の場合、子供の頃に亡くなった兄弟が多く、また、生き残った兄弟にも病気が多い状況です。(平成23年 5月現在)
・長女: 健在(79歳) | ・二女: 4歳で死亡 | |
・三女: 60歳で死亡(子宮ガン) | ・長男: 72歳で死亡(肺がん) | |
・四女: 療養中(脳浮腫、73歳) | ・五女: 健在(71歳) | |
・二男: 1歳で死亡 | ・六女: 2歳で死亡 | |
・七女: 死産 | ・三男: 私、健在(64歳) |
以上のように、私の兄姉は死産や子供の頃の病気で4人が亡くなって、10人の兄姉の中で生き残ったのは6人という状況でした。
このような兄姉の不健康な状況から、私は中学生頃から健康には高い関心を持って育ちました。
2.私の生い立ち
終戦の翌年の昭和21年12月に私は生まれました。
私が生まれた時、母は33歳で9人の子供を出産した上に、その年の4月に六女を亡くしていました。 そんなことから、私を産むこともためらったと、物心ついた後に話してくれました。
戦後の困窮や食料難もあって、私のための母乳は出ない状況で、白米にその10倍程度の水を加えて長時間煮てできる白いミルク状のおもゆが、母乳代わりだったと聞いています。おそらく、母の体内でも十分な栄養は貰えなかったものと考えられます。
「母体内での栄養」と「1歳になるまでの栄養」が、一生の体格と頭脳を決定づけるという考えがありますが、この時期の栄養に恵まれなかった私は、この説のとおりの貧弱な体格と頭脳を持って育つことになり、現在に至っています。
子供時代は元気な子供でしたが、冬には「アカギレ」や「シモヤケ」、風邪をひくと鼻から「青ばな」を垂らした子供でした。
中学時代は、駅伝部に入って長距離走の練習をしていましたが、同級生よりも疲れ易いことが気がかりでした。 この疲れを取るために、その頃出回ってマスコミで宣伝を始めた「ビタミン剤」を試してみることを友達に話したら、えらく笑われたことを記憶しています。
高校時代は、大学入試にほとんどの時間を費やしていましたが、「頭痛」と「風邪引き」が悩みでした。 3回受けた大学受験の1回は、風邪引き状態で試験を受ける羽目になりました。 大学で入部したワンゲル部の検診で、校医から云われた「体骨と内臓が十分に育っていない」という診断が非常にショックであったことを今も記憶しています。
3.私の体質・持病と小病
大学を卒業して就職した職場での検診で家族性高脂血症であることが判明しました。 この病が、健康維持の上で私の最大の課題です。 家族性高脂血症は母親からの遺伝です。
父親の家系は健康な家系ですが、母親がやや不健康な家系であったことが、私達兄姉の健康に影響していると考えています。
また、私の血圧は、上(収縮期)が100mmHgで、下(拡張期)が58mmHgの「低血圧」です。 低血圧の人は長命と云われますが、「低血圧の病持ち(やまいもち)」という ”ことわざ” があるように、低血圧に伴う血液の循環の悪さからさまざまな小病に罹りやすい体質です。
私の経験してきた病気は、風邪引き、ぜん息、頭痛、膵臓痛、胃痛、大腸痛、耳鳴り、膝痛、腰痛、切れ痔、頻尿、等々です。 これらの病気は、「低血圧」と「高脂血症に伴う血液の循環不良」等によって引き起こされたものが多いと考えていますが、中には胃痛のように高脂血症の治療薬の副作用とみられるものもあります。
マッサージによって予防と治療ができた病気についてこのHPで紹介していますが、まだ、改善出来ないでいる病気もあります。 マッサージ以外の治療法も試みていますので、効果のあった治療法を紹介してゆきます。